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< 鉄道模型趣味 アニバーサリーチャレンジ グランプリ受賞 >
(2022年9月・10月・11月号掲載)

旧北軽井沢駅舎は現存し、又、映画「カルメン故郷に帰る」劇中入線シーンとパーンして映される駅周辺を参考に「働く人、列車に手を振る少年、そんな時がゆっくりと流れていた時代再現の為」すべて自作しました

 模型の時代設定を昭和24年頃とし、書籍・ネットの草軽愛溢れる資料・写真と映画DVDを参考に当時に近い模型を完成しました。又現地調査時(コロナ禍前)に、北軽井沢観光協会様より、駅舎や草軽電鉄車両等に関する多数の書籍・写真・資料を見せていただき非常に参考になりました。

※映画では、駅舎は軒先程度しか映らず、資料となる近隣風景も、列車の入線場面と他に三地点よりの動画の計数分程度に映る遠景で、退色と低解像で不鮮明画像ですが、建物の大きさと位置関係を特定し制作しました。画像に映っている物はすべて作成しましたが、ジオラマの大部分とディテールは推察での作成です。

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旧草軽電鉄の北軽井沢駅界隈を 1949年当時の姿で再現!     (16.5mmOナロー)
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駅舎正面
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 駅正面車寄せ付近より北西側を望む   背景には出荷の為に加工された木材の置き場が見え、引込線より都会に運ばれた
    ​        ジオラマには、ブナや白樺の紅葉と山並みも表現しました  

 
北軽井沢駅模型

※入り口の左壁に貼ってあるお知らせは、年代は下りますが、多分昭和30年代?の草軽電鉄のお知らせ用の大判白紙の形式を再現しました

​・・・周囲の意匠・上部中央に社章・下部に社名・・・色はモノクロ写真の為不明ですが・・・・

​又、北軽は定かではありませんが、当時は「おしらせ内容」は毛筆で書き、重要事項文字横に朱色の二重丸を加えたものが散見されます・・・

この駅の改札口に貼られた注意の紙「お見送りの方…入場券を・・」は写真より朱色筆書きでした!

※入り口の引き戸について、模型はガラス入りとしましたが、昭和30年代写真は現在と同じガラス無しで、模型は間違っています。この駅には「ガラス入り」が似合いますが・・・

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 模型写真
正面扉上部の駅名表示は、当時のモノクロ写真を参考に作成 ​(毛筆書体は自筆)
​壁板・天井板は、木材を一枚ずつ貼りウェザリングしました  構造材の組み方も忠実に再現
窓は多数の為、PCで図面化し、レザーカット屋さんへオーダー
各窓枠は、ガラス(プラ板)を2枚の窓枠で挟み込み、室内側からの見栄えも考慮しています                   

パーンフォーカス写真について
写真は、最小絞りorフォーカス合成(深度合成)で撮影しています。
​フォーカス合成(深度合成)は、同じフレーム内で近接より無限までのピントの異なる   写真を複数枚撮影し合成するもので、パーンフォーカス効果が期待できます 
●パナソニックのフォーカス合成の際、物の輪郭線や光部分にギザギザが散見されます。
●オリンパスの深度合成の場合は、それはありませんが、暗いとこは像が流れやすい傾向が有ります。どちらも私のコンデジの場合ですが・・・。
​画素数は、合成時パナソニック800万画素、オリンパス1200万画素


※Pan-Focus image for small model 
    Photos were adjusted the depth of field after many different focus 
    shootings from 3cm to ∞ in one second with the Focus Stacking function
    by Lumix and Olympus.   It's amazing for modelers.

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現在の駅舎【実物写真
​木材の表面はペンキ塗装
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カラーやモノクロ写真を分析し、当時の色を推察し塗分けしていますが・・・?
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正面左側:写真より当時あった荷物倉庫の入り口・便所・郵便ポスト・物干しざお等を再現  
ホーム風景
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                いつの時代も鉄道は少年達の憧れ (・・・遠い昔、私の周りに居た友人達を思い出しながら・・・人物作成)
模型はフルスクラッチ
   
                                           デキ12形18号車+ホト111+ホハ30形31号車(1950年の「カルメン故郷に帰る」撮影時のホハ31はベンチレーター有り) 

                                   尊敬する”鉄道青年:小林氏”の資料によるとホト111の登場はずっと後で時代考証が誤りでした・・・

※草軽電鉄の記憶:火山山麓のレモンイエローは

​ 草軽ファンのバイブル

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草津方面行ホーム  乗り降りが終わって、降りてきたご近所さんの会話が聞こえる
                        2両目の貨車の車掌さんが小荷物を積む様子も見える 客車の後部ドアには赤腕章の車掌さん
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       架線:草軽電鉄の特徴的な架線も制作してみました(Φ0.2mm.0.3mmピアノ線使用)
                  電線:後ろの方は、左8本・右2本しっかり張ってますが、手前の方は、何度も引っ掛け壊したので少なくしました
​     背景:山並みはラッカーで描いた絵で、空は100円ショップの色模造紙です
  

 
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新軽井沢方面行ホーム  小荷物を計量器にかける駅員さん(計量器は廃線後ホームに放置された写真が残っています)
                               現駅舎にはない荷物倉庫やトイレへの入り口等を写真を基に再現しました 中央柱には「発車ベル」天井には傘付き電球をを設置 

 
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映画画像より、旧 平仮名と旧漢字体での駅名標記を再現
​                                 雨トイは、雪の為か駅舎・ホーム側共に壊れて修理されず付いていなかったようです(一部トイが残っている当時の写真も有り)

 
駅舎内待合室(中央)  地元の人たちの明るい会話が聞こえる待合室    
駅舎内風景
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※出札口

切符棚・ダッティングマシン・そろばんハンコ類・筆記具・

​帳面・料金資料等

切符棚の右手の書類の下は金庫

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小黒板には本日の予定が・・

下りホーム草刈り

松竹映画関係者人数確認と対応・・

駅長室内部  ホーム側の閉塞器付近は写真が残っているので忠実に再現できました。その他は通常の駅を参考に制作。 
                            特に立派な駅舎故、
現草軽交通にも脈々と受け継がれている2大方針「地域責献」「忠恕の心」等は壁面最上段に創業者の肝入りで、「書」として当然
               のように掲げられていたのではないか?と思い制作しました。旧国鉄ターミナル駅の国鉄総裁「書」の如 く・・・・

※2年前まで草軽交通のホームページには

 「地域責献」「忠恕の心」が掲載されて

​   いましたが、現在は分かりやすく

 「地域責献」「顧客第一主義」へ・・・

​※これは「カルメン…に違いない・・・

                                   駅長室内部     出札口内部も一部が映る写真が残っているが、よく観察すると中央窓口ガラスが破損し、右窓口を使用している様子 ここでは中央口使用に戻し制作
                            又、再生され文化財となった現駅舎では、待合室側にドアが有り、その横には模型が展示してある(通常小駅にある小荷物扱い窓口)配置であるが、
                              当時の出札口付近写真より(ドアは無く)小荷物を取り扱う引き戸が3枚だったと推察できます。(模型ではドアと2枚引き戸で制作 形状も異なります)

右の「時刻表」「次発行先案内や時刻板等」は当時写真の " 手書き書体 " に極力似せて書き縮小し使用しました。

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駅舎内待合室(北)  列車が入ってきて慌ただしい待合室風景・・・大きな荷物を担ごうとする地元の人々
                           
                 少年はずっとここに居るようだ・・・下駄はキチンと揃えられて
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        時刻表が昭和30年代資料の為、室内の旅館などの宣伝もそれに合わせての時代表現です(幾つかは他駅の物をそのまま再現) 
                                (店名・キャッチフレーズ等は当時チラシ資料を参考とにしました)
近隣風景
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  西改札口付近    
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    北軽井沢駅西改札口とマスヤ食堂兼旅館    映画「カルメン故郷に帰る」の映像を参考に忠実に再現。背後には地元に配る暖房用の薪の山や引線        線に入った貨車を配置し架線・架線柱・電線・電柱も再現
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写真上:映画では、右手出口奥の看板類は見えず、出口のすぐ奥には、人が一人程度入れる狭い売店(上画像中央)が映りますが、その色彩と意匠があまりにも都会的でその場には似つかわしくありません! これは多分「映画のセット」と思い模型は撤去しました (写真手前)​又、あるショットでは映っているが、他の方向からは何故か映っていない「ドラム缶」や「小さな木」なども小道具として使われたものと思います・・・看板は一時的に撤去された?? かの黒澤明監督は、時代劇で電柱が映ることを嫌い引っこ抜いたと言われていますが・・・・・木下監督は❓

※日本映画の著作権は70年で、この映画は著作権が切れていると思いますが、一方で、監督著作権というものが有り、死後38年だそうです。木下恵介監督は98年に亡くなられましたので・・・個人のHPでもN.Gのようです

・・一応画像のカルメンと朱美は黒塗りですが・・・・・

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               北軽井沢駅北側踏切    踏切表示のRAIL ROAD CROSSINGは戦後進駐軍の命令で日本中の踏切に立てさせられた‥と言われる
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              駅北西/北東・・・   近隣に製材所等が有り、引き込み線より木材の積み出しが行われていた

※農業倉庫

映画では、右のような建物が畑の横に見えるが、農家ではなく、農業倉庫のようです。

※映画撮影は1950年で、このシーン設定は1949年で細部異なります・・・

(作物の違い、肥溜の覆い等・・・)

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                  農作業風景    「カルメン故郷に帰る」のラストシーンには、人は映っていないが、このような風景が広がっていた
       人々は日の出より働き、日の入りと共に家路に・・・
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映画撮影は1950年秋に行われ、左のように冬場の暖房用「薪」が山積みされたシーンが見られます(この写真の反対側からの撮影)​又、当時の写真にも、道両側の各家の前に積まれた薪の写真が残っています

         木材積み出し風景   軽便鉄道は国鉄の路線を補完、全国を網羅し地域産業の振興・発展に欠かせないものであった
    ​                この地方は、硫黄と木材輸送を鉄道に依存し、林業は重要な産業で多くの人々が携わっていた

 
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              製材所内部風景   当時は大型機械はなく簡単な機械設備だったと思われます(左:丸のこ盤・右:かんな盤)
 

※肥溜

当時は日本中どこでも見られた風景

​いろいろな事が思い出されます・・・・・・・

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※薪は重要な暖房手段

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建物の中には、畳張りの部屋が有り、青年団の人達は、「寄合」で集い、酒を酌み交わし、地域の絆を深めていったに違いない・・・
 
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              防火用水槽(他にも設置済)・桶・バケツと井戸・・・扉の中には、手押しポンプ式の消火器が収納されていた・・・
 
               製材所近隣には、万が一の火災に備え「消防団の設備(手押しポンプ式消火器)」が設置されるのが常で、実際の
             場所の特定はできていませんが、製材所横の小さな建物を仮定しました・・・長野原町北軽分団 の文字が・・


 
             映画では、線路の反対側の北東に製材所が見え、その手前の建物は詰所か???
 
             こちらの建物は木材倉庫を仮定・・・
 
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